2018年02月18日

 フィギュアスケート羽生さん金メダル!


 16日ショート、17日フリーが行われ、羽生結弦さんが、金メダルをもたらしました!ショートの日は、千里のレッスンを終え、食事中に刻々と入るニュースにくぎ付けになり、阪急の店員さんと一緒に喜んだりと、本当にやきもきしながらの一日でした。

 また、フリーの土曜日は、木幡教室のレッスン後マッサージが入っていましたので、またライブは見られず、スマホのお蔭で、5名で感激のひとときを共有することができました。刻々と入ってくる状況に、ワクワク、ドキドキしながら、手は動かしていますので、あっという間の楽しい時間になりました。

 事故でけがをし、復帰できるかの不安と闘いながら本当に強い精神力と、彼を支える世界と言ってもいいほどの多くの人の声援に後押しを受け、叶った奇跡のような出来事です。もちろん彼の実力ですが、ひとつでも失敗をしていたら、メダルは違う色になっていたかもしれないという肉薄した力との闘いでもありました。

 世の中が不安をいっぱい感じさせる状況下において、彼の成し遂げた功績は非常に大きな幸せと勇気を多くの人に与えていると感じます。宇野昌磨さんが銀メダルとワンツーフィニッシュで終わり、メダル獲得数も上がり本当に嬉しい出来事でした。

 2人揃ってのインタビューが何度も繰り返されていましたが、気になったのは宇野さんの人間性の欠落のようなものを感じさせられたことでした。ひとりひとりの心はさまざまですし、単純に喜べとは思いませんし、疲れている中、何度も同じ質問に答えさせられるのもかわいそうと思いましたが、最低限の礼儀は、必要ではと感じました。

 特に私たちは羽生さんのオリンピックに対する気持ち、その他の種目の多くの選手たちの心情を思い、精一杯の応援をしたいと思っている時に、自分の気持ちだけを主張している姿に水をかけられたように感じたのは悲しかったです。
幼少の頃からスケート一筋に生きて来られて、他の世界を知らないことも多いでしょうし、その間の苦労もそれぞれだと思いますが、わずか3歳ほどの年の差でありながら羽生さんと宇野さんでは土壌の違いを感じました。「オリンピックには何の感慨も感じなかった。何の意味もない」と言うような言葉は聞きたくなかったですね。
芯体操 http://www.shintaisou.jp/
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2018年02月10日

冬期五輪平昌(ピョンチャン)大会始まる!


 複雑な気持ちのまま、開会式が行われました。日本選手団は総勢269人で、海外で開催される冬期大会では史上最多となるそうです。

 開会式の選手入場の後のショータイムは、最新技術を駆使した世界が繰り広げられ映像などもどうなっているのか分からないぐらい、立体的で、圧巻でした。聖火の点灯もあんなに高いところまでどうして点火するのかと思っていましたが、最終ランナーのフィギュアのキムヨナさんに託され、盛り上がりました。

 今日から、さまざまな競技が繰り広げられますが、北朝鮮の思惑にはまらないで信念を持って各人にがんばって欲しいと思いますね。

 ところで、今年がスタートしましたが早や2月です。3月の交流会、6月の公民館フェスティバルなどと考えますと、春にもならないのに夏があっという間に近づきそうで怖いです。昨年はパーティーの為、本当に1年かけた気がします。考えようでは10周年からの5年間が結局は15周年のためであったとも言えるのです。

 一筋の道を歩むということはそういうことであるのかもしれませんね。日々勉強の場を与えられ、あるいは、模索しながらの歩みなのです。これからの、一日一日をどういう気持ちで過ごすのかという答えはまだありませんが、もうすでに何かが始まっているかもしれません。

 考えればオリンピックに参加する選手たちは、何年も何年も目的に向かってひたすら訓練を繰り返しているのです。レスリングで五輪四連覇の偉業を成し遂げた、伊調さんが、アルソックの会社で選手時代は練習を約束されているので何年も仕事をしたことが無かったということ言われていました。

 しかし2020年のオリンピックに出るか分からないがそれまでは、会社員としてきちんと仕事もしたり、人と会ったりで勉強して何でもできるようになりたいと言われていたので感心しました。

 いくらやっても一握りの選手だけが脚光を浴びる世界、時間が取れるなら
少しは知らないことを知るのも大事かもしれない。と言えるのも到達したから言えるのか・・・難しい問題です。
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2018年01月31日

『「生きつづける言葉」』平尾誠二


 「1963年、京都市生まれ。81年伏見工業高校でラグビー高校選手権大会優勝。85年同志社大学で史上初の大学選手権三連覇。86年、神戸製鋼入社。入社3年目より7年連続日本一。87、91、95年のワールドカップに三大会連続出場。89年日本代表主将としてスコットランドを破り、91年ワールドカップでも初勝利を達成。日本代表キャップは35にのぼる。その後、日本代表監督などを務めるなど、さまざまな活動を続けるも、2016年10月逝去する。」

 平尾誠二さんのことは、伏見工業高校で活躍されている頃から耳にしていました。53歳での早すぎる命でした。容姿端麗というのでしょうか、とても素敵な方でしたので、本屋さんで見つけ、『生きつづける言葉』『友情』の2冊を
買い求めました。

 『友情』は、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥氏と、平尾さんの奥様とが最後の1年を語られているものです。そして『生きつづける言葉』には、著名人にも愛され続けられた平尾さんの言葉が、生き返ったように散りばめられています。

 理不尽な状況であっても、「物事をスムーズに運ぶためには、自分達が何を目的としてどう動くのかを、全員が理解していることが必要だ」と、それを前向きに進められるように、仕向けながら改善していくという、新たな道を作ってこられた人です。

 「深刻じゃなくて真剣」と、いつも笑顔でポジティブな感じ方が素敵です。
「ここまでやらないと日本一にはなれない」と各自が自覚すれば、主体性が引き出されるという言葉は、私も身につまされるように感じられました。

 言い換えてみますと、「ここまでやらないと身体は健康にはならない」と各自が自覚すれば、主体性が引き出される。つまり、自立できるのだよと言われているような気がします。

 「日々楽しんで生きる。生きているという実感を、感じながら毎日を過ごす、
そういう生活がなければ、個人のオリジナリティやイマジネーション、創造力は生れない」
 と私も思います。
posted by 津田 美智子 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年01月26日

「奇跡の芯体操」インタビュー

 著書「奇跡の芯体操U」が発刊されました。前回の出版本、「奇跡の芯体操」のときに、リトルガリヴァー社のお知らせで、編集長との一問一答が、インタビューとして掲載されましたが、その時の言葉は今、読んでも興味深いので、ご存知の方も多いのですが、載せさせていただきます。
 「インタビュー」
Q 津田先生は、わたしのネットワークの中から、見いだされた方で、つくづく人との繋がりは大切だ、と気付かされた事例です。
つまり、わたしは佐藤彰氏を通じて、津田美智子さんと繋がった。ちょっとした驚きと、不思議を感じました。


津田 佐藤先生を知ったのは、1980年初めの頃、出版されていたジャギーの本からです。それが16年後、私に身体のアクシデントがあり、手にした整体の本がその道に進まれた同じ佐藤先生の本だった訳で、運命的なものを感じました。そして私が身体と闘って、知り得たことを世に役立てたいために、本を出版したいと思った時、佐藤先生が、同郷の富樫さん(リトル ガリヴァ―社)をご紹介してくださったのです。これは本当に、驚きと不思議の何ものでもないです。

Q まだ未完の原稿に激励を送り、少しずつ、「芯体操」の正体が見えたと思うのですが、想像を絶する苦しみの中から、光が見えたという体験。筋肉がなくなり、自分の身体を制御できなくなるという現実を言葉で表現することがどんなに困難なことなのか。

津田 医者にも分からない身体に起こったことを説明するすべは全くありませんでした。これは一般的には恐怖の極みなのですが、私には身体の訴えが分かったので、自分にしか乗り越える方法がないことに、早くから気が付いたのです。その時、神様は大石恵さんという人を、ご自分の手の代わりに使わされた。それは、大石さん自身の考えというよりも、お互いが神の許にいると感じたことが大きかったのです。想像を絶する苦しみの中で、そのことが一筋の光明として感じられたのです。

Q 今だから明かせる、芯体操の「これだ」という瞬間というのは、どんなときだったのでしょう。

津田 身体との闘いの中で、色々不思議な現象が起こり、勝手に動かされることが全て、必要な運動として教えられたことなのです。それがレッスンの中で実行していくと、次から次に的確なエクササイズとなり効果を発揮しだしました。あらゆる人間の身体が、どうなればいいのかを知ることが出来たのです。

Q 先生はときどき、これは神様による所業。それを実感されたと書かれていますが、それはどんなときなのでしょうか。

津田 全ての偶然が必然であると感じた時です。それが大きな宇宙の神の力、一所懸命精一杯生きていると、成るべくして成ったと感じる機会が多いのです。大石恵さんとの出会いや、犬の芯くんとの出会い、遡って考えると何故あの時に……と不思議なことばかりです。事故ですらいい結果に終わることまで体験すると、自然に感謝の気持ちが生まれます。毎日感謝して祈ることにより奇跡的なことが多くなるような気がします。

Q 東日本大震災のあと、仙台の子供たちへの応援、支援に手をさしのべていますが、なにかきっかけがあったのでしょうか。いまもその活動は継続されているのですか。

津田 仙台のNさんから芯体操へのお問い合わせがあった時に、何故この時期にこの地の方が(震災から3カ月ほどの時です)芯体操に興味を持たれたのだろうと不思議な気持ちでした。それは、震災に遭われた方達に、何かしたいという強い思いがあったからです。
現地の子供たちに、さらに芯体操を伝えたいという思いは、変わりません。それは、Nさんの芯体操がしたいという気持ちに答えることが、やがて仙台で芯体操が生まれることで継続していけると思っています。

Q これから目指す「芯体操」のビジョンということでいえば、快適なライフスタイルの確立のために、新しい芯体操を開発し、追求するということでしょうか。

津田 身体の中を感じてきたことで私に出来ることは、自分の身体が自分で分かる人を増やしたいということです。芯体操に出会われた方が、筋肉をつなぐ運動をすることで、そのことに気付きが生まれ、魂を揺すぶられるような感動を覚えるレッスンをしていきたいと思います。
そして、今この瞬間に生きる!という感覚を持った人が増えれば、人は輝き、元気になれると思っています。

posted by 津田 美智子 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年01月18日

漫画 『君たちはどう生きるか』


 原作 吉野源三郎、漫画 羽賀翔一の本を手にしました。最初は今の若い子供たちへの、考え方の道理を問うた本かなという気持ちで読み進みました。しかし、コペルニクスの地動説の話から、人間というものが、いつでも自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているということを書かれていることで、この説が唱えられ始めた当時は、太陽や星が地球のまわりをまわっていると信じられていたせいで、危険思想と考えられ、さんざんな迫害を受けていたということを改めて知らされました。

 そのことから、人間としてあるべき姿を求め続ける少年と叔父さんのお話が始まるのです。少年の真直ぐな心を知りコペル君というあだ名を付けた叔父さんはノートに、少年との今日の出来事を書き留めることになります。

 コペル君に起こるさまざまなできごと、心の葛藤が叔父さんのノートに綴られていきその都度、コペル君に気付きを与えていくことで、この原作が長い年月を重ね、温められ今回の出版にたどり着いたことに深い感動を覚えました。

 著者の吉野源三郎氏は、1899年(明治32)〜1981年を生きられた方で、本を読まない現代の若者に向けて、漫画とのコラボで出版されたのも意義のあることのように思います。

 そして、この本には、全ての人間に対する生き方を示唆するものでもあります。「人間の悩みと、過ちと、偉大さについて」の章に真理が書かれています。人間は、悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、本来人間がどういうものであるか、ということを知ると書かれています。

 ここからは、すっぽりと自分の心に入り込みます。健康で、からだになんの故障も感じなければ,からだの大切な働きを忘れて暮らしています。ところがからだに痛みや辛さを感じたとき、初めてそれに気づくのです。もしからだに故障ができているのに苦痛がなければ命を失ってしまうかも知れない。

 からだが、どういう状態であるかを知ることが、同時に人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か、そのことをはっきりと知ることができるのだということが書かれています。驚きました!私が「芯体操」を伝えることは正しくこのことだからです。伝えたいことのメッセージは、きっと、時代を越えて受け継がれていくものなのですね。お薦めの1冊です!
posted by 津田 美智子 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年01月16日

今日は亀岡の「新年会」


 今日は、スタジオ近くの料理屋さんで、レッスンの後、みなさんとお食事会をしました。幹事さんがとてもお上手に盛り上げて下さり、みなさんと、気軽にお話しできるような雰囲気で、一人ひとりのお気持ちなどを聞くことが出来ました。

 昨年末の、15周年パーティーには殆どの方が来てくださり、とても嬉しかったのですが、お話は、亀岡教室が2005年にスタジオが完成し、2006年からお教室をオープンしたことに遡り、12年になるということを思い起こしました。

 オープン当初から続けてこられた方も多く、今は、火曜と、金曜日に分かれてそれぞれ頑張っていらっしゃいます。亀岡市は、京都市の盆地の外側に位置し、京都市が山で囲まれていますので、老ノ坂(標高220メートル)を越えて行き来していました。

 今は、縦貫道が開通し、随分行き易くなりましたが、時間は早くなっても距離感はやはり・・走りごたえがあります。老ノ坂トンネルを越えると、京都市は晴れていたのに時雨れていたり、靄が、かかって真っ白という日もあります。

 ちょっと、陸の孤島的な面もあり、亀岡の方は一種独特の雰囲気です。どこかおっとりとして、趣味で色々なことをなさっている方も多く、芯体操への取り組みもちょっと、どう捉えられているのか分かり辛いこともありました。

 以前から、少しずつお話をしていますとみなさんとっても真面目に取り組んでいただいていることは分かっていました。そして今日のお話を伺っていますと、とても大切に思っていただいていることが伝わってきました。


 私の「奇跡の芯体操」の意味も聞かれるままに、話しましたが、本に書いてはいても直に赤裸々に話したことは、殆ど無かったのです。だからそんなことをみなさんの前で話せたことが、とても嬉しかったです。

 この情報社会に翻弄されて、大切なことを分からないで過ごしてしまうことに無念を覚えますが、これからはもっと直にお話もしながら、芯体操の真髄をお伝えしていきたいと心に決めた1日となりました。
posted by 津田 美智子 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年01月04日

 芯体操の使命とは?


 遅いごあいさつですが、娘一家が今、帰りまして、久しぶりの日記です。
昨年の15周年パーティーから、怒涛の如く年末に突入しまして、遅い年明けを味わっています。もう明日からレッスンが始まります。1年の計は元旦にありと申しますが、今年1年はとてもじゃないけれど考えられないでいます。
 
 計画を立てると、また1年が瞬く間に過ぎそうでちょっと、恐ろしい気もしますので、また1日を大切に過ごすことで気持ちがふくらむのを待ちたいと思います。

 それにしましても、パーティの日も年明けも穏やかなお天気が続き、有り難いことでした。もう冬至も過ぎ、これからは少しずつ日も長くなっていくと厳寒期はこれからと言えど何となく楽しくなります。「二十四の瞳」の朗読に1年間お付き合いしたことで、今の幸せをしみじみと感じたことでした。

 しかし、北朝鮮の核実験、米国、韓国、ロシアなどの不穏な動きから目をそらすこともできず、かと言って無力な国民はいつ巻き込まれてもおかしくない情勢でもあり、心の不安は取り除くことが出来ないでいます。

 自分に出来ることをしっかりやりつつ、世界平和を祈願したいと思います。自分にできること・・・やはり身体の健康が心の健康に繫がると信じて、発信していきたいという信念しかありません。少しでも心身の健やかな状態を保つために、手助けできることを開発していく所存です。

 著書・舞台・パーティー等々、みなさまに共感、感動、元気をもっていただくことを念じて、チャレンジしてきました。何かのメッセージを発信するためにはやはり命がけの思いで取り組まなければなりません。決して簡単な思いだけで通用することではないということを肝に銘じております。

 今後も一生懸命、お伝えすること、如何に表現するか、感動することなど自分自身の課題としながら、歩んで行きたいと思っています。

 本年も「芯体操」よろしくお願いいたします。
posted by 津田 美智子 at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年12月28日

 映画「8年越しの花嫁」を観て


 物語の始まりから、わっと涙が吹き出しました!
「芯体操15周年パーティーが終わって、ふらっと本屋に立ち寄ると、この本に出会いました。映画になるというのは知っていましたが、ふとしたことから交際が始まったカップルの女性が、発病し記憶が戻らない年月を男性が、寄り添い続け、約束をしていた結婚式を挙げるという実話なのです。

 本を1日で読んでとても感動していたのですが、パーティー後初めて空いた時間に、丁度くずはモールの映画館で観られるとは思いもしていなかったことです。感銘を受けたのが、パーティーで行った「二十四の瞳」の舞台が小豆島だったのですが、この映画でも小豆島が大きな意味をもたらしていたのでした。

 そして、私の身体との闘いから、「抗NMDA受動体脳炎」を知り、病名は違うようですが、痙攣や、手足を絶えず動かしている様子などは、計らずとも他人ごととは思えないのです。

 それにしましても、パーティーが終わり、「今、朗読がとても流行っているのでとても、良かったです」と言われますが、正直驚きました。1年以上前に、何のイメージもない頃から、ふと読んでいた短編の小説に感動してこんなに素敵なお話をみんなに知って欲しいなぁという思いから始まったことなのです。

 5年前の10周年パーティーで、1年かけて「ハンドベル」に挑戦したときは、演奏を聴いて、やってみたいことの目標がはっきりしていましたが、「朗読」というものがどういう形になり果たして観る人への影響がどうなるのか、どの小説が良いのかと暗中模索で始まったのです。

 しかし、MCの高橋さんから指導を受けてレッスンを開始し、「二十四の瞳」という実際に「朗読」をされている方のお話に出会わせてもらうことになり,一気に流れ始めたのです。

 又、ダンス曲との出会いも不思議です。それらは以前に振付けて踊った曲もありますが、満足がいかずそのまま眠らせていたのに、再演することからまた、新たな曲に出会ったりと偶然が重なり、どんどんインスピレーションが湧きだし、連鎖を膨らませながら進むことで、ひとつのワールド(世界)が生れ出すのです。

 「流れの勢いは、まだまだ、続いているようです。お勧めの映画です。」
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2017年12月26日

芯体操15周年記念パーティーを終えて


 2017年12月17日(日)1年間の想いが、結実しました。
「奇跡の芯体操15周年記念パーティーが、300名近くのお客様をお迎えし大盛況に終えることができました。

 交流会・公民館祭・京都ロームシアターでの舞台をやり抜き、本式にスタート台に立ったのは、9月半ばでした。2017年の年明けに思い立った、「朗読」のボイストレーニングと、オープニングに「ボディパーカッション」にチャレンジしたいなというアイディアが浮かびましたが、忙しく月日は流れます。

 ボイスはいつも司会をお願いしている高橋魅恵さんから月に1回レッスンを受ける事に決まり、1月からスタートしました。役員4名と私の5名でのドキドキの始まりでした。最初の何ヶ月かは、内容が決まらず暗中模索の状態でしたが、高橋さんの提案で「二十四の瞳」の要約された文章にふれ、私の中には強い思いが増し、これしかないという気持ちが湧いてきました。

 高橋さんの配役決めはお見事でした。私たちにも分からない声の質やあるいは性格まで見通されたような感性で、誰も意義をはさむ間もなく決まっていきました。終えてみれば、これ以外は無いかなと思えるほどぴったりだったように思います。

 パーカッションの方は、試みるのですが、みんなバラバラで私も頭を抱えていましたが、イメージが膨らみ始めると、どんどん変化していき、本格的にはやはり、10月に入った頃から、仕上がっていきました。パーティーがぐんと近づいてくる頃から、「青い影」をテーマに4曲目の8分30秒の長編ドラマが出来上がってきました。

 静と動の織りなすリズムの世界は、私の感じているリズムがなかなか伝わらず、かといってぎりぎりの体調で臨んでいましたので、思いっきり動けない状態というわけで、もどかしさで、悔しい気持ちでいっぱいでした。

 1週間前にはまだ、出来上がっていませんでした。2日前にハードスケジュールながら最後のレッスンを入れました。朝のレッスンを休んで臨んだ決死のレッスンで、なんとか当日を迎えました。
 終わってみれば、笑顔満開の会場にあたたかな「芯の風」が揺れていたように思えました。ありがとうございました!
posted by 津田 美智子 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年12月03日

食事作りも修行の機会


 今朝の、読売新聞の「名言巡礼」を読んでいますと、道元禅師の教えが体現される修行道場、大本山永平寺のことが載っていました。約140人の修行僧が、早朝4時から、座禅、勤行(ごんぎょう)、行鉢(ぎょうはつ)、掃除などの作務(さむ)など、日々厳しい修行に励んでいるそうです。

行鉢とは、正式な作法で食事をいただくことであり、それが修行のひとつであるということにこころ惹かれました。道元の著した「典座教訓」によると、典座とは修行僧の食事を司る要職であり、「食事を作るには、必ず仏道を求めるその心を働かせて、季節にしたがって、春夏秋冬の折々の材料を用い、食事に変化を加え、修行僧が気持ちよく食べられ、身も心も安楽になるように心がけなければならない」と述べられているそうです。

座禅を組むことも「高僧伝を読むことも重要だが、それは修行の一部に過ぎない。修業とは生活の中の立ち居振る舞いすべてであり、典座の仕事には、その機会が十分に与えられている」と説いています。

これを読んで、結婚した当時を思い出しました。1冊の料理本を買い求め、新婚初日から、本の通りに学びながら、毎日違う料理を作るという決意をし、1カ月以上、作り続けたのです。心をこめて節約しながらも続けたことが、基礎をしっかり学んだことで私を料理好きにしました。

独身の友人たちが次々と訪れ、増々、お料理を作る機会が多かったので、まるで修行僧の片鱗を実行することができたのかも・・・。

自分の家族だけにとどまらず、お客様をもてなすということも必要だったかなと思います。しかし、当時お隣の子供達が遊んでいるのを、キッチンの窓越しに眺めながら、さつまいもの天ぷらを揚げて熱々のまま、おやつに食べさせてあげたりもしました。「若いのに、子供たちの為に良くしてくれるね!」と褒められたことは、今でも美味しいものは出来立てを・・・という学びをいただけ嬉しかったです。。

最近は、とっても忙しくなり、家に帰ると夕飯が出来ていたりと、しっかり家人のお世話になっています。ありがたいことです。今日は修行僧の生活のことを知り、身が引き締まる思いをいただきました!
posted by 津田 美智子 at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記