2021年10月30日
楽しむためには楽しまないとだめ!
投打の二刀流で活躍した大谷翔平選手が、選手間の投票による年間最優秀選手「プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」を日本人で初受賞しました。1994年7月5日に岩手県に生まれ小学3年の時にリトルリーグで野球を始めたそうです。花巻東高校では寮生活を送りながら頭角を現し、佐々木洋監督の下、「可能を不可能にする」(先入観を捨てることによって 不可能を可能にする)という教えを受けたそうです。
大谷選手の爽やかな物腰や語る姿にいつも感心していたのですが、やはり育ててくださる人との関わりがあったことの素晴らしさを感じます。高校時代には投打に活躍するのですが、点には結びつかず全国大会には出場できていないことも、高校卒業後はメジャーリーグに行くと決心していましたが、さんざん断っていたのに、日本のプロ野球界での強いお誘いにより最後は日本ハムに入団したことも、今となっては佐々木監督の「不可能を可能にする」ための準備された道だったのではないでしょうか。
その道を選んだからこそ、高校卒業後日本でプロとして多くの経験を積んだからこそ、大谷選手の素晴らしい能力が開花したように思います。
最も権威のある全米野球協会会員によるアメリカン・リーグMVP投票での受賞、コミッショナー(野球の統制を取る最高権威者による)特別表彰、専門誌「ベースボール・ダイジェスト」の野手部門の最優秀選手など投打は勿論のこと守ることも認められ、それに盗塁などはニュースなどで見る度にセーフになったときの笑顔の可愛いこと!
そして、私が大谷選手に惹かれる最大のポイントは、「しなやかなからだ」に尽きます。鍛え方間違いで筋肉質にしてしまっているからだではだめだと思っているけれど、違う世界を持っていたイチロー選手でもないと思っていた私には納得の大谷選手の登場でした!ホームランを打った姿も、走っている姿も、投げている姿もすべてしなやかの一語につきます。
芯体操の目指す、彼のからだの中身を見てみたいです。私自身がアクシデントに逢わなければ今頃、理想のからだを完成させていたのにと思うと悔しいですが、中身だけは同じ世界を感じます。そして、みなさまにだけは、理想のからだを目指して欲しいなあって夢見ています。歩いていても走っていても彼だけは軽く、気持良く歩いています。見ているだけで幸せになる今日この頃です。やりすぎて故障しないようにだけ祈っています。みなさんも音無しでこけないで歩きましょうね!
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2021年10月24日
コロナ禍に学んだことは大きかった!
私は、7月からの教室再開については、緊急事態宣言がまだまだ先が見えない状況の中、非常に慎重に進めていました。しかし、休まれる方もいる中で強い気持ちで、不安定な気持ちをセーブしつつ笑顔で応えてくれたみなさんのお気持ちをしっかり頂くことができ9月までの3カ月間は、しっかりと対策を守りながら頑張ることができました。1人でも感染者を出したらおしまいだという気持ちと闘っていました。
そして10月、遠方で交通機関のご利用などでどうしても無理な方々が、満を持したように笑顔でレッスンに戻られたときは、本当に嬉しかったです。少しずつ、コロナウィルスの感染者が少なくなり始め、今日は全国でも285名でしたが、まだまだ第6波も懸念されているので、気は抜けません。
しかし、この2年間近くの月日は今まで生きてきて初めての経験でした。戦争や災害、伝染病等々人類の長い歴史の中では色々な体験をされてきた方も沢山いらっしゃるはずです。しかし、戦後生まれの私にとっては生死に関わるとか直接に身に覚えたのは初めての出来事でした。年齢よりも何よりも住む場所によっては災害、または病気など本当に人さまざまな人生と言えるでしょう。
そうは言っても25年前に起こった私自身のアクシデントは、やはり命に関わることだったのですから、自ら闘ったという意味では同じことかもしれません。どんな時でも落ち込むことなく一生懸命に前を向いて進むことが大切であり、コロナ禍で教えられたことはやはり、周りの方々の力を支えにしながらも人知を尽くすことにつきるのかもしれません。
人前に出るのもやっとの闘いの日々である自分が、芯体操を考案し乗り越えることで人間のからだを深く知ることとなりました。それを伝えることが使命という気持ちが、コロナに負けないという強い思いに結ばれています。幸いにもワクチンを初めとして、世界中の医療関係の人々が特効薬を求めて研究を続けています。私たちだって、薬ではなくウィルスに負けないからだをつくることができる筈です!
今までにお伝えし続けてきた呼吸法や運動は、からだの中から活性化し私の理想とするからだは病気にならないという確信を持っています。芯体操を始めてから病気になられた方は殆どいません。病名をもらった方はまだまだ理想のからだではないということです。病気には理由があるということです。それも一緒に学んで下さったら嬉しいです!
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2021年10月17日
世の中色々なことが起こる!
梨、栗,柿、みかん、ぶどう、色とりどりの果物がお店に満載です。我が家の朝食にもいつもながら6〜7種類、これって癖になります。この秋の彩りがものすごいパワーですね!昨夜はさといもと新ショウガの炊き込みご飯、これがまたほくほくにピリッと出来上がり、普段はおかずが多くてご飯が食べられないのにお代わりしてしまいました!
運動会、修学旅行などという懐かしいような言葉が耳に入ってきます。コロナ感染者の数値が下がっています。まだまだ「第6波」の恐れはありますが、今までの生活に慣れているのであまり危機感は感じなくなりました。旅行や食事などと大きく元に戻す気持ちがなければ、国民全員の意識次第で乗り越えることも可能かもしれないという期待も少しはあるといった感じです。
問題は、折角頑張ってきた対策の習慣を突然破らないで欲しいと願うばかりです。でもレッスンは2年間守ってきた、濃密にならないことで封印してきた運動を少しやりたくなりました。その1番が「2人組回転運動」です。芯を感じるために生まれた最高傑作の運動、感じること、繋げること、緩めること、引き合うこと1人でやるより直接感じることで驚異的に身体が変わる素晴らしい運動です!
しかし、私自身がみなさんに触れることも殆ど我慢することで、違う面で発想の転換をしたことも多かったのでそれはそれなりに進歩しながらみなさんのからだが変わってきているのも感じています。呼吸法「パーフェクト」にじっくり向き合えたのもプラスになりました。
先日、藤井風(ふじいかぜ)さん(24才)の歌を始めて聴きました。日本のシンガーソングライター、海外でも人気があるそうで、インタビューで「エド・シーランより好きかもしれない!」「彼の歌にはソール(心・魂)がある」なんて言っていたので、えっと思い彼の歌を聴いてみたのです。幼少期より父の影響でクラシックピアノを始め、中学生になってからYouTubeに動画を上げ続けて知られるようになったそうです。ピアノを自由に弾きながら作詞作曲していく。「お元気ですか」「もうええわ」「旅路」「それは何なん 何なん 何なん」って無観客の広い競技場かで3時間ピアノを弾きながら歌い続けたり、色々な人間も生まれこのコロナの恐ろしかったけれど2年間の不思議な時間は私たちに色々な気付きも与えてくれました。
人生100年以上と言われる現在、豊かに生きるためには年を重ねてもポジティブに毎日を過ごすことが大切ですね!と平野レミさんも言っていました。
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2021年10月09日
2年生になった涼(りょう)ちゃん
インストラクター大石百合子さんの長男涼介くんは今年の4月に2年生になりました。百合子さんと出会ったのは、百合子さんが高校生の頃でした。お教室に来ても、からだがしんどくてバターンと寝っ転がっているような状態でした。太鼓をしても、ダンスをしても何故かやめることなく、ぶらさがっていたのか、くらいついていたのか分からないうちに、幼かった子が成人しました。いつも共に過ごしながら気が付けば、可愛い女性に変身していました。
振り向けば、太鼓もしたよな、ダンスもしたよね、ダンスチームのみんなに見守られながら練習して、大阪城の下で踊ったり、大きなホテルでも太鼓もダンスも経験したよね。 最近、ちょっと私が健康体操を始めた20代の頃を思い出すことがありました。まだ百合子さんと出会っていなかった頃のこと、私が結婚、出産をして、体操を始めた頃のことでした。
水を得た魚のように嬉しくて、楽しくて、幸せで絶好調の頃でした。百合子さんも結婚、出産を経験して子育ての真っ只中故に、何故か自分のその頃を思い出したのでしょうか。子育てが主体なのか、体操が主体なのかと言えば、心なのかからだなのか分からないけれど・・・・百合子さんはどうかな?
私は私自身が体操ありきの心とからだの合体となっていました。何か習い事をしていますではなく、体操も子供も私自身であったので分けている暇はなかったのです。だからどちらも一生懸命だったのかもしれません。天秤にかけることなく無我夢中だったのでしょうね。芯体操がその時から決まっていた未来の道だったような気がします。
百合子さんがこれからどのような道を歩むのか、それはきっと今この瞬間の生き方で決まるのかもしれませんね。そして自分の子供のことを思うとき、この芯体操の与える影響は少なからず、子供達に何らかの形で何かを与えているのかもしれません。涼ちゃんは、正しく幼年期に芯体操をしている百合子さんの姿、空気を感じています。小学校に通いこれからも1年ごとに色々な体験をしていくことでしょう。 近くに住んでいる涼ちゃんとは、学校の帰り道、勉強会の終わりや、レッスン後のスタジオで会うことができます。涼ちゃんは感じる子に育っています。その年齢の子にはそういう力もあるのかもしれませんが、共通の繋がりを持っていることも大きいかもしれません。私がハグしたくなるのも、ふと寂しくなるのもみんな知ってくれているように思います。私の心に残しておきたい涼ちゃんへの想いです。
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2021年10月02日
自分だけ良ければいいのではない!
10月1日から緊急事態宣言が解除されました。状態はどうであれ、ホッとしたのは実感でしょう。外食も控え、買い物も近くのスーパーの空いている時間を選びながら大きな負担を感じることなく過ごせるようになったのも、感染者の増加により緊急事態宣言が長く続いたことも大きかったと思われます。
宣言や重点措置がどの地域にも出ていないのは、今年4月4日以来、半年ぶりとなるそうですからその間、私のワクチン接種は早い方で6月に終えることができましたが、全体の接種は遅々として進まない状況であり、政府の対応が悪いと言われながらその責任問題は何処はあれど、決まり事とはいえ総裁交代まで行われることになりまだ先は見えません。
しかし、制限緩和には、ワクチン接種率の向上がカギを握ると言われているように、接種状況9月30日集計では高齢者はほぼ90%、64歳以下が50%近くに上がってきています。こうなると、蘊蓄(うんちく)を述べるより行動すべきかと思うのですが、何かにつけて色々な意見が飛び交い、難しいことです。我々は自分にできることを精一杯やることしかありません。緩和されても何をしてもいいわけではありませんね。今まで以上に頑張ってレッスンしたいと思います。
9月末にどうしてもの用件で千里レッスンの帰りに京都高島屋へ行きました。おかげで見たかった「杉原千畝(ちうね)展」を見ることができました。1939年、第二次世界大戦のさなか、杉原千畝は、リトアニアの日本領事館の領事代理として、家族と共にカウナスに赴任。迫害から逃れる多くのユダヤ人を含む難民に、本省の意向に背いて日本通過のビザを発給することを決断しました。自分と家族の生死がかかっていながら、毅然とビザを発給し続けた千畝の信念と、それを支えた協力者の存在、それによって繋がった多くの命の物語が伝わってきました。「命のビザに刻まれた思い」実際の「ビザ・リスト」が展示され、1人でも多く救いたいと必死の思いで書かれた筆跡を見ると涙が出てきます。助かった人々の感謝の言葉が映像で流れます。その時助かったからこその多くの家族の絆が生まれたのです。1人の命を救ったことは、それに続く多くの人の命を救ったのです。
1万7699人、国内で今日現在、このコロナ禍で命を失った方々です。世界的な数字は計り知れません。杉原千畝氏のように歴史に残る大きな救いが必要です。今、世界に起こっていることは、なんらこれまでの経緯と変わらず戦争という2文字が消えることはありません。世界が一つにならないと、コロナが収束しても世界平和は望めないのではありませんか?
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