2022年04月09日

生きていて良かった!

  
 書家の金澤泰子さんと金澤翔子さん親子のお話にはいつも幸せを頂きます。ダウン症児として生まれた翔子さんを、母である泰子さんが大変な思いをしながら見守ってこられました。その親元を離れて30歳の時に1人暮らしを始めて7年になるそうです。1人住まいを心配されていましたが、翔子さんは、恐怖の観念があまりないようです。泥棒に会ったらどうするの?と聞くと、握手をして「私を殺さないでね」と言ったら私を守ってくれる。人はみんな優しいし、みんな大好きと言う翔子さん。雨も、風も、台風も友達。みんな仲良しだから困らない。この間、風神雷神がお礼に来てくれて「書に書いてくれてありがとう」って言ってくれたとか。

数年前にお2人にお会いしたのは京都最古の禅寺、建仁寺での個展でした。泰子さんの翔子さんを見守る優しくも凛としたイメージが印象的でした。
俵屋宗達筆の「風神雷神図屏風」が有名ですが、翔子さんの書かれた書は図を見ていないにもかかわらず、偶然にも同じ配置の書が生まれました。翔子さんは、「雷来てください。風吹いてほしいな」と思って書かれたそうです。

この書は2009年に鎌倉・建長寺の個展に際して書かれたものですが、その後建仁寺で10日間展示されると、訪れる人が後を絶たず、そのまま奉納されることになったそうです。図と、書が大書院に並んでいる様は壮観ですね!

 臨済宗円覚寺派管長が書かれた書「苦しい時は今幸せの種をまいていると思うがよい。そう教わってきたが、実はそうして堪えている時こそが幸せのただ中なのだ」今の世界情勢ではとてもそうは思えない現状です。でも、長い年月人間はこういった争いを繰り返し、苦しみながら乗り越えてきたのではないだろうか。でも、その一時期と考えるにはあまりに悲惨過ぎる。やってはならないことがある。

 私個人に置き換えるとやはり、からだとの闘いは尋常ではなかった。眠れない辛さも、筋肉が萎えてしまう怖さも、死んだ方がましと思った日々も、生きているからこそ今がある。骨も関節もそれに伴う筋肉も生きている限り繋ぐ、繋ぐからこそ生きられる。手段があるから乗り越えていくこともできました。

 そして今、私にできることは、やはり健康で笑顔の絶えない時間をみなさまと過ごせるように・・・ひとときのやすらぎを得る空間を差し上げられるように願っています。「生きていて良かった!」生きているからこそ、できることがあるのですね!

URL http://www.shintaisou.j
posted by 津田 美智子 at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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