2022年12月04日

人生とは、始まり、過程、結果?

 
 今までの自分を振り返ってみると、全て自分が選んで来ることができたのだろうかと考える。先ずはこの世に生まれたことは、自分の意志であったとは考えられないことであり、過程においては生まれ育った環境は、やはり自分で選んだとも言えない。勿論、その過程では、自分で判断したことは数限りないものだったことは確かではあるが、それがどうなるかまでは考えられるわけではない。「前を向いて歩こう。道なき道を一生懸命歩むことで、自分の後ろに道はできる」それが、私の信念であった。

 そして今、私は『芯体操』 という道の途上にいる。身体にとって思いがけない展開に出会ったとしてもそのことは選んでなったわけではない。病院のお世話になるわけでもなく、身体が要求することにだけは、解答を求め続けることが自分の生きる源であったことは確かであった。しかし、その時さえも結果を予期せぬ状態であったことは否めない。

 この芯体操20周年という年は、コロナ禍や戦争という大きな試練を受け、世界中の国々に波紋を広げている。なぜ今なのだろうか、誰もが望まないことなのに、起こってしまう。正しい解答は一つと思っている筈なのに、色々な考え方があることも不思議だ。と書いている今、インドネシアのスメル火山の噴火活動が活発になっているというニュースが入ってきた。地球規模で考えると決して他人ごとではないと感じてしまう。

 ひと息於いて考える。『芯体操』はいつから始まり、今は過程なのか、結果は既に出ているのだろうかと・・・2002年に名前を発案したのだが、そもそもの始まりは幼い頃、山を走り回っていた、桜の木登りして遊んだ、高校でハンドボールでロングシュートを投げまくっていた、SW(その頃の呼び名)で毎日飛行機の重力を受けていた等々・・身体の感じ方はすでに引き合うことを知っていた。健康体操を初めて知った時から三点倒立、何年かして1点倒立を毎日していたなあって思い出す。そう!すべて「引き合い」だった。

 沢山の動きも、内外国を問わず学んだことは、全てリズムで感じ、受け止めていた。
リズムというのは、本来自然が教えてくれるものなので、手足を動かして1,2とやるわけではないということは中々伝えられないことに気付く。若い頃に味わったことは身に付くかもしれないが、年齢を重ねても感じようとすれば面白くなる。それを追い求め続けることが夢と希望を持ち続ける秘策かもしれない。
結果は付いて来ると言うではないか。焦ることはないのかもしれない。今を精一杯生きることが始まりの結果に至るように生きようではないか!それが自分の人生になるのだから・・・
URL http://www.shintaisou.jp/
posted by 津田 美智子 at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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